創業苦心談
このコーナーでは近鉄の公式ホームページとは異なる立場で
近畿日本鉄道を紹介してみたい。
1914(大正3)年6月、4月30日にめでたく上本町〜奈良間の開通を果たしたばかりの
大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道。当時大軌と呼ばれた。)はバックの北浜銀行の不振
などから給料の支払いはおろか乗車券の印刷すら不能という状態となった。
取締役支配人金森又一郎は生駒山宝山寺にいって賽銭を借りることを思いついた。
ほかに翌日支払うべき現金を借りられるところはない。駒岡慧証管長は、金森の
突飛な頼みごとに応えて一万円を祈祷料や賽銭のなかから用立てることを
承諾した(現在の4000〜5000万円に相当する。)。
印刷代、給料の支払いと危機は打開された。給料袋の重いのに、皆は驚いた。
賽銭の硬貨が入っていたのである。近鉄創業期苦心談の一コマである。
↑名阪ノンストップ特急アーバーライナー 大和八木にて 2004.2.29